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「忠固伝」

あちこちに刺激が落ちている

​2021年2月収録

松平忠優(改名して忠固)は最新の歴史的事実も交え、ペリー提督の来日後、

条約を結びに来て危篤に陥ったハリス総領事を上田藩主松平忠固が救うところから物語は始まる。

日本開国当時の真実を追う

歴史考証:関良基  

〔前編〕 『忠固伝』合情記

〔後編〕 28:43 【安政の平等条約の巻】

     拓殖大学教授 関良基

     みなとかおる 森山高至 他

ストーリー

 松平忠固は、上田藩の藩主として、大凶作、大地震、洪水などで藩財政がひっ迫する中、領民に一人の餓死者も出さないという方針で臨む「公助の殿さま」ともいうべき人物だった。

また、徳川政府の老中として日本を開国に導く重要な役割を果たしていた。文化九年から安政六年(一八一二年から一八五九年)の忠固が生きた時代は、次々と外国船が押し寄せる日本の激動期に当たる。

ペリー提督の来日後、ハリス総領事が条約を結びに来て危篤に陥る。それを忠固は救う。徳川斉昭、井伊直弼という政治家の反対に会いながら、一貫して開国と交易を主張して日米和親条約と日米修好通商条約を自分の地位を懸けて結んだ。また、養蚕業を盛んにし、海外輸出で日本経済の礎を築いた。

注: 忠固は最近、ようやく知られてきた上田藩士の赤松小三郎と同様に知られてよい存在であり、最新の歴史的事実も交えて書きました。アメリカを始めとする外国との条約をめぐる史実、新事実はあまりにも複雑なので、架空の藩士「吉田朱鷺蔵(よしだときくら)」を登場させ、創作しました。

あらすじ

 一八五八年、アメリカ総領事、タウンゼント・ハリスは日米修好通商条約を結ぶために日本に滞在していたが、予想を越える困難な徳川政権との交渉の緊張から解放された直後に危篤状態に陥る。徳川政権は蘭方医を派遣し命を救おうと全力を尽くす。

上田藩主にして老中であった松平忠固は修好条約に先立つ一八五六年のペリー来航時の日米和親条約でも開国と交易による日本の発展を一貫して主張する。それに対して徳川斉昭、井伊直弼は、開国と条約締結を阻もうとする。

条約の勅許問題、次期将軍のお世継ぎ問題が複雑にからむ中で、大奥、時の将軍などに支援されながら、忠固は自らの縁戚である公家筋などの意向も考慮し、条約締結をなしとげ日本を開国へと導く。天保の頃から日本及び上田藩は次々に災害、感染症に襲われ、飢饉にも見舞われるが、忠固は一人の餓死者も出さないという政策で臨む。しかし、家臣たちに扶持米のみで暮らすようにしたことは国元の家老たちに不満の元となる。忠固は条約締結後に老中を罷免されるが、横浜に上田藩の生糸を中心とした貿易拠点を造り、近代経済の基礎を作る。貿易に貢献した商人たちをねぎらい、貿易が好調に始まって間もなく謎の急死を遂げる。

​声の出演

以下の二人は話題にのぼるのみで台詞はない。 (門倉伝次郎…上田藩士。馬術の専門家) (赤松小三郎…上田藩士。兵学者、政治思想家。)

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